それによると、ベネズエラのことを示唆して大統領は「どうして南米に侵攻出来ないのか?」と何の前触れなく尋ねたというのである。この質問に会議に出席していた者は唖然としたという。誰も全く予期していなかった質問だったからである。
マクマスター(当時の)大統領補佐官から始まって、それを実行に移せば長年の努力で築き上げたラテンアメリカ諸国政府からの支援を米国は失うことになるといった予想されるマイナス結果を幹部らが順番に説明したという。それに対してトランプは80年代のパナマそしてグレナダへの侵攻の成功例を口にしたというのだ。(参照:「
France24」、「
CubaDebate」)
彼を囲む複数の補佐官がそれを否定する助言をしても、トランプはその会議のあとも軍事介入について彼の頭から離れなかったようで、翌日11日にはコロンビアのサントス前大統領(当時大統領)にそれを打診していたことが同国の高官(匿名希望)より明らかにされたという。(参照:「
CubaDebate」)
サントスは当初から軍事介入には難色を示していた。米国がベネズエラに軍事介入するには単独では無理で、隣国のコロンビアとブラジルの協力が必ず必要とされている。特に、コロンビアは8か所に米軍基地を持っており、南米の米国航空母艦と呼ばれている国だ。
9月になって、国連総会が開催されるのを利用してトランプはその前日にサントス大統領そしてラテンアメリカで米国に同盟的な存在の3か国首脳を交えてのプライベートの夕食の席でもこの問題について彼らに相談したというのが同高官からの情報で明らかにされている。
この夕食の席で、彼らはこの案件について、トランプに公の場では口にしないようにと薦めたということが、別のある米国高官筋から明らかにされている。というのは、余り良い印象を与えないからだと彼らはトランプに助言したという。
それについて、トランプは「私の側近からそれを口にしないようにと既に言われているのだが」と前置きしてから、各大統領に「軍事的解決を本当に望まないのか?」と執拗に尋ねたそうだ。(参照:「
CubaDebate」)
ホワイトハウスでは大統領が持った私的会談についての詳細を明らかにすることは避けている。しかし、安全保障局の報道官は、トランプ大統領の指揮の元、カナダそして欧州連合と一緒になってベネズエラのマドゥロを始め彼の高官に制裁を科していることを明らかにし、ベネズエラから100万人以上が国外に脱出しているという事態を前に、米国はベネズエラの近隣諸国に既に3000万ドル(33億円)の援助金を提供していることを公表したという。(参照:「
CubaDebate」)
ところで、大統領が指摘した米国のラテンアメリカへの軍事介入について、米国はこれまで1917年のメキシコへの軍事介入から数えると以下のような武力行使を行って来ている。1917(メキシコ)、1918(パナマ)、1919(ホンジュラス)、1924(ホンジュラス)、1925(パナマ)、1926(ニカラグア)、1927(ニカラグア)、1930(ドミニカ共和国)、1952(キューバ)、1954(グアテマラ)、1961(キューバ)、1964(ブラジル)、1965(ドミニカ共和国)、1966(グアテマラ)、1973(ウルグアイ)、1979(ニカラグア)、1983(グレナダ)、1988(エル・サルバドル)1989(パラグアイ、パナマ)、2002(ベネズエラ)だ。
2002年のベネズエラへの介入では、チャベスを打倒すべく反政府派に武器の提供などをしただけで、米軍による直接の武力介入ではなかった。その後直ぐに、チャベスはクーデターを未遂に終わらせた。
80年代から90年代であれば米国はベネズエラに武力介入していたであろう。しかし、現在の米国は武力介入して米軍人に戦士者が出るといった事態にでもなれば、米国社会は敏感に反応する。それを利用して反政府派は抗議運動を行いソーシャルネットも利用してトランプ政権を倒すのに十分な影響力をもつようにもなる。
また、現在は以前と違ってロシアそして中国の動きも牽制しての作戦も必要になっている。
だから現在の米国はマドゥロ政権が資金難に陥って経済的に破綻するのを待ち、同時に11万人の兵士を抱えるベネズエラ軍の内部からマドゥロ政権を打倒しようとする動きが起きるのを待っている状況であろう。
しかし、トランプ大統領のことだ、突拍子もなく攻撃のサインを送る可能性がないとは断言できない。また武力介入には米議会の承認が必要だとされてはいるが、米州機構を始め周辺諸国が米国の軍事介入を望むようになる可能性もゼロではない。
南米情勢も予断を許さぬ状況なのだ。
<文/白石和幸 photo by
Eneas De Troya via flickr(CC BY 2.0) >
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。