場所探しは、当初東京都内を中心におこなっていたのだが、不動産会社の紹介がきっかけで、再出発の地は、埼玉県、西川口に決まる。
林さんには、料理の学歴はない。頼りは居酒屋での経験と、自立の覚悟、チャレンジ精神のみ。
2015年。開いた店の名は「酒場 一旬屋」。「いちばん新鮮さを提供する店に」との想いをこめ、林さんが名付けた。この名の通り、福建どころか中華色ゼロの、完全な日本の居酒屋。
しかし、スタートを切るも、一週間全く客が入らなかった。果たして自分が新たに選んだ道は間違っていたのだろうか? ただただ呆然と自責の念に駆られていた・そんな時ちょうどやってきた中国の祝日。店も休業にし、同郷の友と集まる。そこに、友の持参によって現れた一つの料理道具が、その後の人生を大きく変えるものになろうとは、この時当然思っても見なかったのだった。
その道具は
「海蛎饼专用勺」。福建省福州市福清の名小吃
「海蛎饼(牡蠣入り揚げ餅)」を作る為だけの、浅いおたまのような道具である。それを見た皆は揃って懐かしさに高揚した。そんな中、林さんがそれを手に取りおもむろに海蛎饼を作り始めた。なんとその出来栄えの素晴らしかったこと!美味しさと懐かしさに皆さらに興奮度を増したのだという。
これが牡蠣の揚げ餅専用の料理道具、「海蛎饼专用勺」
「そうか!こんなに皆が喜んでくれるものは、実は自分の身近にあったんだ!」(林さん)
日本でのこれまでの経験を活かし日本で生活してゆくのだから、と、自ら思い立ち縛られていた条件から、この瞬間に解放されたのだ。この時に作った「初・海蛎饼」の写真を、今もなお店内掲示メニューに使用している。写真としては決して美しくない仕上がりでも、当時の喜びと決意を表したものだから、変えられないのだそうだ。
「初・海蛎饼」の写真
それから、「酒場 一旬屋」のメニューが、じわりじわりと福建の小吃に入れ替わってゆく。まるで現地に居るような雰囲気で食べる中華が好きな一部の日本人客の間では「居酒屋のフリして実は本場の味が楽しめる面白い店」としてその存在の噂は僅かながら広まりかけたものの、福建省出身者が多いはずの地元西川口ではあまり広まらずにいた。Wechat(微信)を活用したテイクアウト・デリバリーも始めたが、ごく一部の固定ユーザーのみ。
提供できる福建料理がだいぶ増えた2017年、店名を「福建料理 福記」に変更。「福建料理を食べたくなったら、ぜひ此処へ」。同郷人も、福建料理に関心を寄せる日本人も、受け入れ態勢は仕上がった!
この頃は、西川口全体が「ネオ中華街」「新チャイナタウン」と注目を集めており、ここ「福記」へも取材や撮影が続々訪れるようになり、店の存在は瞬く間に広く知られることとなった。
そんな上昇気流に乗った、2018年の春節。
なんとここで、帰省のためおよそひと月あまりという長い休業に突入してしまう。
知らせを聞いた時、筆者は「えーっ、このタイミングでそんなに休んじゃうの?」と大変驚いたのだが、今回の帰省、実は林さんは「今の現地の味を学びに行く」という大きな目的を掲げていたのだ。