Photo: Arno Mikkor (EU2017EE) via flickr (CC BY 2.0)
EUに君臨する女王、メルケルの牙城がついに崩れるか!?という危機が迫っていたが、メルケルが巧みな戦略でそれを見事に回避した。
70年続いているドイツのキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)の連携が難民問題で崩れる可能性が生まれていたが、7月1日の夜CSUのゼーホーファー党首兼内相はメルケル首相との協議で合意に至ったと発表したのだ。
CDUとCSUの軋轢の発端は移民の問題だった。難民の流入が多かったバイエルン州において、州民の中に不満が増大しており、それに同調するかのようにして極右派政党ドイツの為の選択肢(AfD)への支持が同州内でも急激に伸びているのだ。そのため、バイエルン州を地盤とするCSUの党首ゼーホーファーが焦りを感じて、メルケル首相に難民を直ぐにでも強制送還させることができるようにすることを要求し、メルケルがそれを受け入れない場合はCSUはCDUとの連携を破棄する用意があるとメルケル首相に迫っていたのである。
この要求に対し、メルケルはドイツとオーストリアの国境近くに「難民を収容する施設を設ける」ということを条件にして合意に持ち込んだ。難民がこの収容所に滞留期間中にドイツ内務省は彼らを亡命者として受け入れるか否かを検討し、亡命者として認めない場合はEUで最初に受け入れ国となった国に送還するという方針を決めたのである。
収容所を設置するというのは、困った難民に門戸を開いて受け入れるというメルケル首相の当初の方針と相反するものであった。また、現政権のに加わっているもう一つの党である社会民主党(SPD)は、ナチスの捕虜収容所のようなものを連想させる収容施設の設置には反対していた。何千人もの難民をそこに収容するなど物理的に不可能であり、非人道的だと表明し、収容所設置についてもCDUとCSUにさらなる説明を要求している。
そんな背景がありつつも、政権が割れるのは得策ではないという判断のもと、苦渋の決断をしたというわけだ。
メルケルが苦渋ながらもこの決断をできたのには背景があった。
それは、メルケル首相とゼーホーファー内相との間で7月1日に合意が結ばれる前、6月28と29日の両日に開かれたEU加盟国の中で16か国の首脳会議であった。その席でメルケル首相はCSUとの難民問題について双方が了解できるための打開策を見つけることに務めていたのである。
その結果、まずスペインとギリシャがメルケル首相が期待していた以上の反応を示したのである。スペインといえば、国民党政権下時代は、ドイツ政府が1849人の難民送還の受け入れ要請していたにもかかわらず172人しか受け入れていなかった国が、である。
そのスペインの新政権であるサンチェス首相とギリシャのチプラス首相が、ドイツからの難民、すなわち、スペイン又はギリシャに入国してドイツに向かった難民の送還を受け入れることをメルケル首相に伝えたのである。この合意に至る下地を最初に作ってあげたのがスペインとギリシャだったのだ。