メディアスクラムで壊される犯罪被害者・加害者家族の日常
記事によると「午前零時過ぎに、家のチャイムを鳴らして取材を求めたマスコミがいた」「児童を尾行して家に到着したら、インターフォンを鳴らして取材しようとしたマスコミがいた」といった、行き過ぎた取材の実態が書かれています。
住民の中には、報道関係者を逮捕してほしいとSNSに投稿した方もいるようです。
産経ニュースでは「保護者・児童の感情と、マスコミの『報道の自由』の両方に配慮しなければならない」と書かれていますが、わたしには、こういった取材がそもそも「報道の自由」として配慮されるべきものとは思えません。
犯人逮捕のためという大義名分があるならまだしも、既に容疑者は逮捕されています。また少女のご家族は
「(略)今は一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願うばかりです。どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」との声明を発表し、取材の自粛要請をしました。
しかしなぜか、多くのマスコミは要請の部分をまるごとカットし報じませんでした。
マスコミの方は、わたしに「被害者感情に配慮しなければいけない」「麻原裁判はおかしかったと思うけど、被害者の気持ちを考えると報道できない」といいます。果たして、マスコミは本当に被害者感情を考えているのでしょうか。もし考えているなら、ご家族の言葉をそのまま報じ、取材も節度あるものとなったでしょう。
ご家族が声明を出し、穏やかな生活を取り戻したいと願っているのに、少女の個人情報を周囲の人に聞き出し、報道するのは、誰の、何のための報道なのでしょうか。
わたし自身も、これまでマスコミの過剰取材・報道に苦しめられてきました。
少しだけ例を挙げます。
一人でスーパーで買い物をしていたとき、テレビ局のクルーとリポーターに見つかり、追いかけられたことがあります。撮られたくない一心で逃げましたが、結局、路地の行き止まりまで追い詰められ、マイクとカメラを向けられました。
その時、「悪いことをしたから逃げた」と誤解されるのを恐れ、「取材には応じます。その代わり、わたしの隠し撮りや逃げるシーンは使わないでください」と取材スタッフにお願いしました。
しかし、番組の放送を見ると、わたしが逃げるシーンが使われており、その上、インタビューシーンも放送されていました。当時のわたしは13歳。何の後ろ盾もない両親のいない未成年で、約束を守るに値する人間ではないと判断されたのでしょう。
ある時は、大きな業務用ビデオカメラを担いだマスコミが、マンションのベランダに入って窓をがらりと開けて部屋に侵入してきたこともあります。夜に見知らぬ男性が踏み込んできたので、怖くてたまりませんでした。
プールに入っていることころを隠し撮りされたこともあります。わたしが誰であるか特定した上で、水着姿を無断で放送されたことに、思春期だったわたしはどうしていいかわからなくなりました。
そのときの恐怖や悲しみは、今でも忘れることができません。
◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆
こんにちは。松本麗華です。
連日、立て続けに衝撃的なニュースが報じられる昨今ですが、先月、新潟市のJR越後線の線路上で女の子の遺体が見つかるという痛ましい事件があったことも、まだ記憶に新しいでしょう。
ご家族や親族・地域の方々の受けた衝撃は計り知れません。悲しいことに、亡くなった少女の周辺では、マスコミの取材による「二次被害」が発生しているといわれました。
先月末に掲載された産経ニュースの1
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この連載の前回記事
2018.05.26
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