今回の投票率は53.38%だった。これまでコロンビアの選挙で50%を越えることがなかったことと比較すると、ゲリラ組織によるボイコットがないという安心感と若者が今後の国の発展により関心を示すようになったことが、投票率が伸びた理由であるとされている。
各候補の得票数は、イヴァン・ドゥケ:7,569,693票(39.14%)、グスタボ・ペトロ:4,851,254票(25.08%)、セルヒオ・ファハルド:4,589,696票(23.73%)、ヘルマン・バルガス:1,407,840票(7.28%)、ウンベルト・デ・ラ・カーリェ:399,180票(2.06%)、ホルヘ・トゥルヒーリョ:75,614票(0.39%)という結果となり、誰も50%の票数に達していないことから上位2人が決戦投票に臨むことになった。(参照:「
El Espectador」)
投票前まで1940年以降、初めて左派から大統領が選出されるかもしれないという予測がかなり高い割合を占めていた。しかし、この得票結果から見て左派のペトロが勝利するには3位につけているファハルドの票がすべてがペトロに向かう必要がある。
ペトロは、かつてゲリラ組織M-19に属していた元戦闘員で、17歳の時にこのゲリラ組織に入ったという。M-19が犯したテロ事件で最大規模のものは1985年に財務省兼最高裁を占拠して治安部隊と衝突して、その時に人質となっていた市民の中で43人が死亡するという事件がある。この事件以降、彼は和平を求め、M-19も解散した後、1994年に議員となり、2012年には首都ボゴタ―の市長になった。(参照:「
El Confidencial」)
ファハルドは中道左派でペトロと同じくFARCとの和平協定を尊重するという意向を表明していた。しかし、ペトロが掲げているような最近20年間の成長の柱になって来た石油の輸出などを基盤にした経済から、農業や環境保護産業の発展を主体にした経済に向かうことには同意できない意向だ。また、ファハルドを支持しているグループの中にはペトロを推すことに賛成しない人たちもいる。ファハルドはコロンビアの第2都市メデジンの市長も経験している。
一方のドゥケは、アルバロ・ウリベ元大統領(2002-2010)の操り人形だとされており、今回獲得した票数を決戦投票で伸ばすことは容易ではない。ウリベはFARCとの和平協定に反対している急先鋒である。ウリベは大統領の時からFARCを戦闘で壊滅させることを主張していた。サントス大統領がゲリラ部隊へ譲歩しての和平協定には、彼らの犠牲になった人たちのことを考慮すれば許されない協定であると言って当初から和平協定に反対していた。(参照:「
El Confidencial」)
今回の選挙で意外な結果となったのは、ウンベルト・デ・ラ・カーリェが2.06%の得票率しか得られなかったことである。彼はサントス大統領から選ばれてFARCとの和平協定に、政府の代表としてキューバのハバナでFARCの代表と交渉して来た人物だったのである。この和平協定の合意を導いた彼の功績をたたえる意味ではもっと票が伸びても良いはずであった。ところが、国民の間にも、平和が訪れたことには歓迎するとしながらも、ゲリラ部隊で犯罪を犯した者が恩赦になるということに賛成しかねているのである。それがまた和平協定を見直す意向のあるドゥケを支持する要因にもなっている。
和平協定の結果、昨年11月の時点で1万2000人余りの隊員が武器を放棄したとされている。しかし、まだ彼らが占拠していた地区から離れていない隊員がいるほか、1200人の隊員はゲリラ活動に戻っているという。
コロンビアの将来は6月17日の決戦投票の行方に依存している。
<文/白石和幸 photo by
Cancillería del Ecuador (CC BY-SA 2.0) >
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。