安倍政権では、経団連を中心とする財界も総力戦を展開しています。財界は、重厚長大・製造・電力・金融など、これまでの日本経済をけん引してきた大企業の経営者で構成されています。
近年の収益力低下に対し、生産から販売までを一括するこれまでの垂直統合型ビジネスモデルを見直すのでなく、政権との関係を強化し、垂直統合を国家レベルまで高めることで、対応しようとしています。政権は財界に呼応し、労働規制の緩和など、財界の求める様々な政策を推進しています。
垂直統合の強化によって、日本経済の直面する3つの構造的課題「A:社会成熟に伴う供給過剰・需要過少の常態化、B:人口減少に伴う国内需要・労働力減少、C:垂直統合から水平分散への技術変化」に対応できるかは、不明です。ただ、従来のビジネスモデルの強化であるため、
経営不振でも経営者の責任問題になりにくいことは明確です。
国家レベルでの垂直統合は、
特定のプロジェクトや企業等への政策資源の「選択と集中」として表れています。例えば、原発と武器の輸出では、政府と財界による合同セールスや政府による資金的な支援が展開されています。TPPによる海外市場の拡大でも、政府と財界が連携していました。リニア新幹線、東京オリンピック・パラリンピック、大阪万博も、政権による肩入れが顕著に行われています。
こうした特定企業等への「選択と集中」の一部が、加計学園やスパコン疑惑として表面化していると考えられます。
政策資源を財界と特定プロジェクト等に「選択と集中」することは、それらを引きはがされた
市民の窮乏化を招きます。それでも、国家としての紐帯を損なわないよう、道徳教育の強化などにより、
精神的結びつきを強めようとしています。財界支援の学校が国家重視的なことや、森友学園の土地取引等をめぐる問題は、その表れと考えられます。
安倍政権は、規範性の強い政権です。政権は
「日本と日本人は美しくあるべき」という規範をベースに、内外の課題に対処しています。この規範には「力強く成長する経済」のように広く認識されているものもあれば、首相の側近やブレーンにのみ共有されているものもあります。後者は、
政権を支持するメディア等での発言や解説によって、首相の「真意」を推し量ることができます。
「美しくあるべき」という規範は、必然的に現実とのかい離を生じます。そのかい離に対し、政権は現実に合わせて考え方や政策を変えるのでなく、
規範に合わせて現実に対する認識を変えます。規範に合わせて現実の認識を変える典型例は、労働政策です。生産性向上と過労死減少を目指し、
高度プロフェッショナル制度や裁量労働制の導入を目指しています。これらを導入すれば、
同じ賃金でより多くの付加価値を経営者が手にでき(付加価値量が増えるわけではありません)、多くの過労死は普通の死になります(過労で亡くなる人が減るわけではありません)。
「美しくあるべき」という規範には、明確な定義がなく、政権やブレーンたちの解釈で時々で変化します。しかしながら、変化しない規範もあります。それは
「上位者(多くは権威ある年配の男性)に迷惑をかけてはならない」という規範です。下位者(及び上位者が下位者と見なす人)がそれを守れば、良しなにしてくれますが、たまに切り捨てられることもあります。
規範に合わせて現実に対する認識を変えようとしても、物理的・資金的・時間的・肉体的等の限界でかい離を埋められない場合、安倍政権は
「精神力」で超越すべきと考えます。国家や公のために尽くす「美しい精神力・道徳」で限界を超え、それに伴う犠牲を称賛します。
政権は「美しい精神力・道徳」を涵養するため、政権自らの取り組みから、支持者の自発的な取り組みまで、多様な文化的な力を用いる
「精神総動員」を展開しています。「親学」普及や道徳教育、メディア介入、ヘイト黙認、科研費攻撃など、その例は幾多にもわたります。
政権の精神総動員に対し、そうした言動を制約する憲法や諸制度、近隣諸国、野党、政権の方針に異論を述べる市民・メディア、あるべき属性に含まれない市民は、
政権や支持者からすべて「反日勢力」と認識されます。特に「美しい日本」に「存在すべきでない」と考える事実(従軍慰安婦問題など)や考え方(基本的人権など)を重視する人々は、非難や闘いの対象(敵)と見なされます。