再生数1億回の動画は2万円のカメラで始まった 「ダメリーマン成り上がり道」#3
「今の時代、SNSやYouTubeで誰でも情報を発信できる」――。
よく聞く言葉だが、実際にトライする人は少ないし、それを継続して成功する人はもっと少ない。
『戦極MC BATTLE』主催のMC正社員は、バトル動画のYouTubeへの配信を‘09年から開始。今や総再生回数は1億回を超えた。当初、「お客さんはゼロだった」というMCバトルの大会も、今年2月に開催した『戦極MCBATTLE 第17章 本戦』(Zepp DiverCity Tokyo)では2500枚のチケットが完売している。
MC正社員の連載『ダメリーマン成り上がり道』の第三回は、『戦極MC BATTLE』前身のイベント『戦慄MC BATTLE』の運営に参加したMC正社員が、イベントの規模を拡大していった過程を追いかける。
サラリーマンをしながらラップをしていたMC正社員が、『戦慄MC BATTLE』の運営に加わったのは‘09年9月から。『戦慄MC BATTLE』は当時すでに10回弱の開催歴があるイベントだったが、「キャパ200人程度の会場でやってるのに、お客さんはほぼゼロ。MC(ラッパー)のエントリーも16人に達しない状況だった」という。
「ハコ代(会場のレンタル料)もペイできない状態ですよね。当時の主宰だったDJ会長という方が、本業の仕事で儲かってたらしく、それでなんとか運営できている状況でした。DJ会長はHIPHOPが好きでMCバトルの大会を始めたんですけど、本人はラッパーではなくダンサーだったんです。だからMCバトルの運営にも慣れていませんでした。当時はラッパーのアスベストも運営に関わっていたんですけど、『お前(MC正社員)が抜けたらオレもやめる』みたいなことを言われて。それで本格的にイベントに係るようになったんです」
今や『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)など、MCバトルが地上派でも放送される時代だが、‘09年頃は「MCバトルはオワコンだったんですよ」と振り返る。
「UMB(ULTIMATE MC BATTLE)が始まったのが‘05年で、すでに4〜5回続いていたんですけど、『これで勝っても意味なくね?』みたいな空気が広まってましたね。カルデラビスタさん(‘05年優勝)もFORKさん(‘06年優勝)も、GOCCIさん(‘07年優勝)も優勝したからといって音源のリリースに繋げられたわけではなく、‘08年に優勝した般若さんも『もうオレは出ない』と宣言していたくらいで。当時は今ほどバトルのシーンが出来上がってなかったから次のチャンスに繋げづらかったんですよ。あと、今はMCバトルに出てるコってオシャレな人が多いですけど、当時は泥臭い感じの人ばかりでした」
そんな逆風の吹き荒れるなか、MC正社員は『戦慄MC BATTLE』を大きくしていく方法を運営内で話し合ったという。
「まず提案したのは、ちゃんと外からゲストのラッパーを呼んでバトルに参加するのはもちろん、ライブもやってもらおうということ。『戦慄MC BATTLE』で最初に呼んだゲストラッパーは回鍋肉で、次がPONYさんだったかな……。当時、基本的には『仲間を呼んで開催する』という大会が多く、ライブとセットでゲストを呼ぶ大会はあまりなかったんです。『戦慄MC BATTLE』も同じような感じで、参加するラッパーも『メンツが同じで飽きてる』『どうせ身内の大会でしょ?』と言っている人が多かったですね」
長く続いている大会でも、参加者が同じであればマンネリ化が進み、参加者のモチベーションは下がるだろう。そこでMC正社員は外部からの血を入れたわけだ。
「それまではネットの掲示板やmixi、Twitterで参加者を募集していましたが、街中のサイファーやクラブにも顔を出して、『今度イベントやるんだけど出ない?』と直接勧誘しました。『出るよ』と言ってくれたら、『じゃあ名前と所属、年齢、出身を教えて。これで登録しておくね』とその場で出場を確約させるようにしたんです。そうやってエントリーについては64人集まるようになりました」
「お客さんゼロ」のMCバトル大会が2500人を集めるようになるまで
MCバトルが「オワコン」だった時代
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