新年早々炎上した「黒塗りメイク問題」は、日本のお笑いがさらに発展する絶好の機会である
12月31日に放送された『絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時!』(日本テレビ系)の中で、ベッキーが女性キックボクサーに尻を蹴り上げられたこと以外に、もう一つ放送後に議論が交わされる問題となったシーンがあった。
黒塗りメイクで黒人を演じるのは、海外では人種差別的な風習であるとされている。放送後にSNSなどでこの点を問題視する人が続出して、物議を醸している。海外メディアの『BBC』や『The New York Times』でもこのことが報じられた。
アメリカで「ブラックフェイス」と呼ばれる黒塗りの起源は、19世紀のミンストレル・ショーにある。当時、白人が顔を黒く塗って黒人を演じるコメディが人気を博していた。
黒人を無知で愚鈍な存在として描くというもので、黒人にとっては侮辱的な内容だった。人権意識が高まるにつれて、ブラックフェイスは問題とされるようになり、現在では黒塗りメイクで黒人役を演じることはタブーとされている。
この件に関するウェブ上での反応は、大きく二分されている。「ベッキー尻蹴り問題」と比較すると、反対派(許されないという意見)が少なく、擁護派(差別にはあたらないという意見)が多いという印象がある。
擁護派の中には、「全く問題なし」と全面的に擁護しているというよりも、「この演出に差別的な意図はないはずだし、日本ではアメリカと違って黒人差別の歴史もないのだから、これをことさらに問題視する必要はない」というような意見が目立つ。
私は、「ベッキー尻蹴り問題」に関しては、どちらかと言うと擁護派の立場を採っていた。
ただ、この「ブラックフェイス問題」に関しては少々事情が違うと思っている。まず、この2つの問題は全くの別物だと考えた方がいい。前者があくまでも国内における問題であるのに対して、後者は国外にも広がりのある問題だからだ。
ブラックフェイス問題を考えるには国際的な視点を持つことが欠かせない。
この問題の根底にあるのは、日本人が日本人向けにコンテンツを制作するときに、海外からの目線をどのくらい気にしなくてはいけないのか、ということだ。
それは、ダウンタウンの浜田雅功が顔を黒く塗って映画『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィに扮した場面である。 ベッキーへの尻蹴り問題を、お笑い評論家として、さまざまなメディアで執筆し、日常的にお笑い系のバラエティ番組を好んで見ている立場から肯定派の意見を執筆してくれたラリー遠田氏は、こちらの「ブラックフェイス問題」についてはどう見たのか?【ガキ使速報】
— ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! (@gakitsukatter) 2017年12月31日
浜田が着替えたらエディ・マーフィーになりました。#ガキ使 pic.twitter.com/OstIKlP5Vq
「尻蹴り」は容認するが、「ブラックフェイス」は事情が違う
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