複数の物議をかもしてしまった「絶対に笑ってはいけない」年末スペシャル(番組公式HPより)
北条かやの「炎上したくないのは、やまやまですが」【その11】
ベッキーの「タイキック」問題が波紋を広げている。
2017年12月31日放送の「ガキの使い!大晦日年越しSP 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!」(日本テレビ系)で、彼女が2016年に「起こした」不倫騒動の「禊(みそぎ)」として、ムエタイ選手に腰を蹴られるという演出が「不謹慎だ」と批判されているのだ。
「人道的に問題」or「ベッキーが納得していればOK」
ジャーナリストや識者らは、「不倫した女性を男性が押さえ込み、腰にケリを入れる演出は人道的に問題がある」と強く抗議する一方、お笑い芸人のカンニング竹山さんは、「みんな神経質になりすぎ」等と批判を牽制。識者からも、「ベッキー本人が納得しているのだから問題ない」などの反応があった。
批判が多いことを受けてか、6日にはベッキーがラジオで「(あの企画は)タレントとして本当にありがたかった」と発言。しかしその発言がまた、「いじめられている本人が笑ってイジメを否定する構造そのもの」と、議論を呼んでいる。一体、どう考えればいいのだろうか。
今回の「ベッキー禊(みそぎ)のタイキック」への反応は、次の3つにまとめられる。
(1)広く人権意識に照らして批判するもの
「不倫した女性が腰を強く蹴られるのを、男性たちが囲んで笑うという構図そのものが問題である」
(2)ベッキー個人の意識の問題として処理するもの
「彼女は大手事務所に所属しており、事前に納得して企画を受けたはず。本人も『ありがたい』と言っているのだから問題ない」
(3)それ以前に、なぜベッキーへの暴力だけが批判されるのかと疑問を呈するもの
「女性への暴力は大ブーイングなのに、他の男性芸人へのビンタや尻の強打は批判されない。女尊男卑ではないか」
もうお気づきだと思うが、この3者の意見は「絶対に」交わることがない。(1)はメディアの構造自体を問題にし、(2)は個人の意識を問題にしている。(3)はどちらでもなく、問題が問題になっていること自体を問題視している。
本来は、上記3つの問題を一緒に議論しなくてはいけないのに、3者が3様に「自分こそ正しい」と主張するもんだから、議論は一向に深まらない。
ジェンダーの問題は多くの場合、「公にてらした問題性」VS「個人の満足度」という争いの構図に持ち込まれ、議論が平行線をたどってしまう。
「公的な基準からすれば問題でしょう」「いやいや、本人が満足しているんだからいいんですよ」。そこに最近では、「それを問題にすること自体が女尊男卑です」とツッコむ風潮も加わり、互いに一歩も譲らない。
これでは、いつまでたっても女性(男性)への暴力問題への意識は高まらず、芸能界の閉塞的な環境にメスが入ることもない。メディアによる「私刑」の是非も問われない。