このような「競業避止義務」の有効性が問題となった裁判例は数多く存在するが、「職業選択の自由」との境界線がどこに引かれるかは、在職時の地位や職務内容、制限の期間、場所的範囲、制限の対象となる職種の範囲、代償の有無等などにより判断されるため、ケースによってまちまちだ。
だが、これらが明確に限定されているほど、その有効性が認められる傾向にある。
今後、詳しく紹介するが、こういった同業他社への転職の際には、この「競業避止義務」とは別に、元社員が会社の「営業秘密」を不正な手段を用いて持ち出そうとした場合、競業を禁じる合意がなくとも差し止めができる「不正競争防止法」という法律もある。
いずれにしても、情報が流出しやすい現代の社会的背景の中、雇用側・被雇用側ともに、どういった情報や技術が互いの今後の自由を侵害するのかを認識し、実情に即した対策を事前に講じることが、無駄な争いを避ける術になることは間違いない。
ちなみに、前出の2人の職人については、後日談がある。退職から数年後、今度は突然「戻りたい」と工場にやって来たのだ。
話によると、高い技術を引っ提げて入社した彼らは当初、転職先の企業から手厚い待遇を受けていたのだが、披露できるネタが尽きるころになると、その会社独自の技術や慣例の習得遅れもあって、やがて彼らの担当する“仕事”は、転職した意味を見出せない“作業”へと変わっていったのだという。
当時、父の工場は入社間もない見習いの手も借りるほどの忙しさで、即戦力が必要だった現場には、2人の復帰は願ってもない話だった。
が、父や工場長は、断腸の思いで「今の工場で頑張れ」とする決断をするに至る。それはおそらく、彼らに対する怒りや信頼関係の失墜というよりも、極小工場の職人としての静かなプライドを守りたかったからなのかもしれない。
風の伝によると、彼らはその後その会社を退職し、異業種の現場で頑張っているという。
【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。その傍ら日本語教育やセミナーを通じて、60か国3,500人以上の外国人駐在員や留学生と交流を持つ。ニューヨーク在住。