なぜか屋台の食べ物は、現金を触った手袋で扱ってもOK
寿司職人は本来、素手で握ることで、魚の鮮度や脂ののり、シャリの硬さや温度などを確認している。それが手袋着用の義務化により、こうした触覚での確認作業ができなくなるどころか、手袋が破れた際、内部で繁殖した雑菌が食品に付着し、かえって食中毒などのリスクが増すおそれもあるため、手袋着用の義務化には店側からだけでなく、現地の外国人客からも疑問の声が多く上がっている。
そのため、現地の寿司店の中には、当局の検査が入る時にだけ手袋をするという方針を打ち出すところも少なくない。こういった店は、その心意気が多くの常連に支持され、実際、連日店内はにぎわうのだが、こうして日本の伝統を貫き通し、清潔を保っている店ほど、当局の検査に神経をとがらせなければならないというジレンマに苛まれているのが現状だ。
今回、日本人経営の寿司店を7軒訪れたが、調理場や職人の手は、日本国内の店と同じように清潔そのもので、立派な調理道具と一緒に置かれていた市販のゴム手袋の箱は、清潔な店をむしろ不衛生で安っぽく見せてしまう存在に見えた。
一方、外国人経営の寿司店やフードコートで、修行経験のない“アルバイト寿司スタッフ”8人に話を聞くと、彼ら全員が「手袋着用は当然だ」と回答。実際、客の側からも、やはり“アルバイトスタッフ”が素手で握る寿司には、どこか不安感が拭えないというのが正直なところだ。彼らにそう感じてしまうのは、長い年月を経て板場に立つ寿司職人から、彼らが修行時代に培った「技術と衛生観念に対する自信」を客として感じ取っているという表れでもあるのだろう。
こうした、本来日本の調理工程には存在しない手袋着用の義務化は、衛生観念が日本と異なる外国だからこそ生まれた基準であるゆえ、受け入れざるを得ないことなのかもしれない。
「多文化が共存するためのルールの一本化」と言われれば、ぐうの音も出ない。ただ当局は、日本のコンビニに相当するデリや屋台などで提供される即席食品に対しては、「現金を触った手袋で食品を扱っても違反にはならない」ともしており、「清潔な素手で寿司はアウト」で、「現金を触ったゴム手袋でサンドイッチはセーフ」とする基準にはやはり、どこか腑に落ちないところがある。
原稿執筆中、カフェで隣り合った若い外国人グループに意見を求めたところ、やはり「他人が素手で握った生ものを口に入れるのには、強い抵抗がある」と声をそろえる。
筆者個人的には、ゴム手袋で握られた寿司は、どことなく人工的な感じがして気持ち悪いのだが、近年、「他人が素手で握った寿司やおにぎりが食べられない」とする人は、若者を中心に日本国内でも増加傾向にあるのも事実だ。
そんな昨今の過剰な潔癖症の日本人と、寿司に対して知識不足の外国人が求めるものが、共通の「手袋」だというのもなんだか滑稽だな、と隣の若者グループの意見をゆっくり吸収していたところ、席を立った彼らのテーブルに、飲みかけのカップとパンくずが置き去りにされたことが、なんとも印象的だった。
【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。その傍ら日本語教育やセミナーを通じて、60か国3,500人以上の外国人駐在員や留学生と交流を持つ。ニューヨーク在住。