その様な窮状にあって、ベネズエラから隣国のコロンビア、ブラジル、更にペルーやエクアドルに移民するベネズエラ人が絶えることがないという。仕事や食料を求めての移民である。その中でも、ベネズエラから移民が最も多いのはコロンビアである。ベネズエラの景気が好調の頃はコロンビアからベネズエラへ移民が流れていた。しかし、今はその逆で、一日に平均して2万5000人がベネズエラからコロンビアに入国しているという。
2000kmある両国の国境の中でも、移民の入国が集中しているのはコロンビアのククタ市とベネズエラのサン・アントニオ市を結ぶ国境である。両市の間には全長315mのシモン・ボリバル橋があり、その橋を歩いて渡れば国境を通過したことになる。コロンビアに入国して、そのまま滞在するのか、単に食料を買ってベネズエラに戻るのか不明とされている。(参照:「
BBC」)
デニス・リベロさんは主人と子供一人連れて国境を通過。『BBC Mundo』の取材に彼女は<「食べたいものを食べて満足するためにコロンビアに行くのです」>と答えたという。
マドゥロ政権に対して抗議運動に参加していたヘススとマンブレの二人は<「エンジョイするための旅行ではない。逃げる為だ」>と告白した。
ガストン・サモンさんは<「ベネズエラでは昼食と夕食が食べれるかどうか分からないままに朝食を食べていた」>と語った。
ヘネシスさんは<「ベネズエラではコンドームもなくなっている」>と笑みを浮かべながら答えたという。(参照:「
BBC」)
ネイダ・コントゥレラさんは<「私の子供の為に、これをやっているのです。ベネズエラでは子供の未来はありません」>と語って、人生の集約が僅かに二つのトランクにまとめられたことに悲しさを覚え、信じられないという表情を取材班に表わして、彼女の主人と二人の子供を連れて橋を渡った。最終目的地はパナマだという。
フィゲロアさんは15年間タクシーの運転手を勤めたそうだが、治安が悪くなり、経済危機となって廃業したという。<「夜は戒厳令を敷かれたような生活だった」>と語った。ベネズエラに乗り入れる外国のフライトを中断させている航空会社が多く、移動もバス、タクシー、歩行が主体になっているという。(参照:「
Portfolio」)
サントス大統領の政権下にあるコロンビア政府は事態を重く見て、8月3日から20万人のベネズエラ人を対象に特別滞在許可証を発行しているという。この滞在許可証で<コロンビア全土で働くことや勉学をすることが可能になる>としている。(参照:「
BBC」)
ペルー、エクアドル、ブラジルでもベネズエラからの移民に対して各政府は同様の対応をしているという。
その一方で、マドゥロ大統領は今も政権にしがみついている。
<文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。