加計学園問題は文書の真偽が本質なのか?――【細川昌彦】

細川昌彦

文部科学省

写真/Dick Thomas Johnson

 加計学園問題を巡って、議論が迷走している。
 文科省が作成した文書に「総理のご意向だと聞いている」と内閣府から伝えられた」との記述があって問題になったのが発端だ。どうやらこの文書は文科省の担当者が内閣府との交渉状況を次官以下、文科省内部で報告するために作成した文書のようだ。担当者としては日常的に行われる当然の仕事である。今、この文書の真偽に焦点が当てられ、この点についての当時の次官の発言まで飛び出している。

 しかし文書の真偽が議論の焦点になっているが、それは本質的な問題ではない。問題はこれをもって加計学園の獣医学部新設の判断を不当に歪めたかどうか、である。

 仮にこのような発言があったとして、この言葉だけを切り取って議論することは適当ではない。どういう状況での発言かを考えるべきだ。言葉は状況の中で意味を持つ。

 状況はこうだ。国家戦略特区で規制緩和を進めようとする内閣府が規制緩和に抵抗する文科省を説得して実施させようとした。それまでの特区制度では、規制官庁の抵抗に会って、なかなか規制緩和が進まなかった。そこで、新たに国家戦略特区の仕組みに代えて、内閣府が規制官庁と交渉する仕組みにしたのだ。岩盤規制をドリルで打ち砕こう、と発破をかける官邸の意向を受けて、内閣府の担当者も抵抗勢力の役所と闘う意気込みで交渉する。そういう役所同士の厳しい交渉の場では、担当者同士のやりとりの中で、勢い余ってこういう言葉を発することは、霞が関の官僚ならば容易に想像できる。

 私も役所同士で交渉していて、相手の役所の担当者に対して、苛立ちからこの手の言葉を発したこともあったものだ。民間企業においても社内で事業部同士の調整の話し合いで「社長の意向だ」という言葉を思わず発する場面もあるのではないだろうか。

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まともな官僚は「売り言葉」にひるまない
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