まさに将来を嘱望された若いテニスプレーヤーの光と影を見るようである。
光の部分は結果を残しトップへのキャリアを上がっていく部分、しかし陰の部分では、不正と八百長が蔓延している世界に触れ、染まり、絡めとられていった。そして一線を退いてからはそういう仕組みを利用して、自分の影響力を広めていこうと、歪んだキャリアプランを描いてしまったのかも知れない。
問題となった2015年には76回もの賭博を行ったというのだから、ギャンブル依存症とは言えずとも、断ち切れない悪癖、悪習慣が身についてしまったのだろう。
彼が、2009年に夢と希望を持ってヨーロッパの地を踏んだことは確かであったはずだ。
金と欲の世界がテニス界にもあり衝撃を受け嫌悪感を持ったことであろう。その話が自分に降りかかった時はあまりに若く未熟だったのだろう。あるいは名もなき多くの若いプレーヤーが苦しむ姿に自分を重ね合わせ、ついに断れず八百長を受けてしまったのかも知れない。
17日の会見でイタリア国際オープンに参加中の錦織圭は「世界で共に戦ってきた。彼も悪いやつではないし、すごく情熱があって、純粋なやつ。だまされやすいんだと思う」と会見で答えている。ただ、それらは全て「言い訳」でしかない。
27歳ともなれば立派な成人である。プロ選手という特権意識からも卒業し、道徳観と倫理観を持った社会人であらねばならない。真摯に反省し、また、どうして泥沼のような不正に嵌ってしまったのか、つまびらかに明らかにせねばならないであろう。社会的・道徳的責任を果たしてほしいものである。
幼い頃の自分がそうであったように、多くの少年が夢見るスポーツの世界に関わった者として、二度と自分のような若者が続かないためにも、陰の連鎖は断ち切ってほしいものである。
<文・安達 夕
@yuu_adachi>