発売1か月で4刷。『「謎」の進学校 麻布の教え』が心に響く理由。――【深読みビジネス書評】

 嫉妬した。素直に羨ましい、と感じた。

「謎」の進学校 麻布の教え

「謎」の進学校 麻布の教え

 2年に及ぶ緻密な取材を土台に、日本有数の進学校の実情に迫ったルポルタージュ。本書を額面通り、シンプルに紹介するなら、そうなる。ただ、実際に読み進める過程で湧き起こる感覚は、そんな陳腐な説明では不十分だろう。ページを繰るたびに好奇心がくすぐられ、微かな興奮と感動が去来する。一方で、学校の環境や理念などに触れるたび、羨ましさから嫉妬してしまうようなくだりも少なくない。「こんなに恵まれた環境で学べる子どもたちがいるなんて」「できることならこんな教育を受けてみたかった」と感じ入ってしまった。いちいち心をさざめかせてくれる一冊だ。

 本書で取り上げられている麻布中学校・麻布高等学校は、東京都港区元麻布にある中高一貫の男子校。開成、武蔵と並んで、中学受験界における“御三家”の一角として語られる名門進学校だ。戦後の学校改革により1948年から新制高校がスタートして以来、東大合格者数ランキングでベスト10から脱落したことがない唯一の学校でもある。

 生徒の自主性を徹底して尊重する自由な校風、進学校でありながら受験対策に偏らず、ときには大学の専門科目と同等の柔軟でハイレベルな授業を展開し、生徒の思考力や想像力をたくましく育てようとする指導など、非常にユニークな教育を展開している同校。卒業生の顔ぶれも豪華で、政界や官界、財界だけでなく、芸術や学術の世界など、さまざまな領域で活躍する優れた人材を数多く輩出してきている。

 しかし、著者はそれを認めつつ、卒業生に「変わった人が多い」とも感じてきたという。そんな、「麻布って、もしかすると少し変かもしれない」といった素朴な興味から取材を進めたところ「やっぱり麻布って変」というオチに辿り着いたらしい。

 昨今、教育問題が語られる際に「生徒の自主性を大事に」「個性を伸ばす」「受験勉強だけにはとどまらない人間教育」といった“お題目”はよく耳にすることで、取り立てて目新しさは感じない。それに、そうしたお題目も現実ではなかなか実践できず、絵に描いた餅のように形骸化してしまっているケースも散見される。

 しかし、麻布はガチだ。本気でそうした教育を実践している。校長や教員など、生徒を導く立場の大人たちが、極めて誠実で、理知的で、献身的。個性豊かな生徒を相手に“良質な放任”を貫くための覚悟を持ち、自らの職業に専心している。こうした姿勢は、たとえば職場で後輩の指導を任されていたり、職位的に部下のマネジメントを担当しなければならない人が読んでも参考になるところが多いと思われる。本書で語られる麻布の教職員の姿や言葉には、多くのヒントが隠されているはずだ。

 どんな生徒にも居場所を用意すること、「最終学歴・麻布」でも十分やっていける教育を実践する姿勢など、読んでいて「生徒は幸せだな」と思わせる描写は多い。ただし、そうした大人視点だけに終始せず、生徒にアンケートやインタビューを実施して、リアルな声も紹介しているあたりが、本書に一貫しているバランス感覚でもある。面白い生徒が何人も登場する。いかにも賢そうで、ちょっとシニカルで、一筋縄ではいかないニオイをプンプンさせているが、その個性を見守りたくなるような、魅力的な生徒たちが描かれている。

 本書が単なる名門進学校礼賛に収まらず、良質なルポルタージュとして成立しているのは、敏腕ノンフィクションライターである著者・神田憲行氏の取材力や筆力、そしてスタンスによるところも大きい。

 神田氏は麻布OBではない。部外者である著者が、取材を通じて麻布に魅了されていくのを、読者は読み進めながら追体験していくような形になるわけだが、神田氏の優れたバランス感覚により、思い入れを強くしながらも一定の距離感を保てているあたりが、とても共感できる。

 少し付け加えるなら、この距離感は神田氏だからこそのものかもしれない。神田氏のブログにある自身の中学時代を振り返った記事によれば、貧しい同級生が多く、中学生にして出稼ぎに出るような生徒や、夜逃げした親にかわって弟の面倒をみるため援助交際をする生徒などがいたという。体罰も横行し、自身も「三単現のS」がわからないというだけで堅い棒で頭を叩かれ、クラスメイトの前で辱められたりしたことがあるとか。小学生のころ野球仲間だった同級生は、中学の卒業式にシンナーを吸いながら登校してきた。

 ブログ記事には、次のような一節が登場する。

「私の記憶違いと信じたい。でも、卒業式に校長は訓示した。
『君らを社会に送り出すのは恥だ。その責任で私も辞める』
 俺ら、恥なんや。そら、そうやろうな。でもな」

 そんな中学時代を過ごしてきた神田氏だからこそ、麻布の教育の素晴らしさに感銘を受けつつ、特殊性(どこでも受けられるような教育ではない、という希少性)を冷静に分析できたのではないだろうか。

 そうした取材者と取材対象の関係性が奏功してか、本書には読者に対して嫌味な部分がほとんど見当たらない。麻布OBや、子どもを麻布に通わせている親、もしくは麻布受験を考えている子や父兄が読み、身内感覚(内輪ウケ感)を確認し合って終わってしまうような、「面白いのだけど、どこか疎外感を覚えて気持ち悪かった」という読後感がほとんどないあたりも、特徴的なところか。

 最大の読みどころは最終章だろう。2013年3月に校長を退任した氷上信廣氏にフォーカスし、その人柄や授業内容、発言を紹介。麻布の哲学を体現したような氷上氏の言動に触れると、麻布という「場」が放つ魅力に、改めて唸らされるはずだ。なかでも、全文掲載されている、氷上氏が退任目前の終業式で生徒たちにスピーチした最後の挨拶には、心を鷲掴みにされた。

 ここで「自己啓発」なんて言葉を持ち出すのも無粋とは思うが、凡百の自己啓発“駄本”を読むくらいなら、このパートを一読するほうがはるかに有意義。そこには、極めて純度の高い自己啓発的な示唆が溢れている。

<文/漆原直行


「謎」の進学校 麻布の教え

この学校、何かが「変だ」

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