田舎暮らしの先駆者・夏目漱石が「現代人の田舎への憧れ」を喝破する
2016.11.12
【石原壮一郎の名言に訊け】~夏目漱石
Q:都会での生活が、つくづく嫌になった。満員電車に揺られて会社に行けば、嫌いな上司にも愛想を振りまき、気が合わない同僚とも気が合うふりをする。山のような仕事に追われて、家族とゆっくり過ごす時間もない。こんな生活をするために自分は生まれてきたのかと思うと虚しくなる。どこか田舎に引っ込んで、のんきにのんびり暮らしたい。人生には年収よりも大事なものがあるんじゃないか。そんなことを考える自分は「負け犬」なんだろうか。(千葉県・34歳・営業)
A:そう考えたくなる気持ちは、よくわかります。人生には年収よりも大事なものがあるというのは、もちろんその通りだし、生き方によって勝ち負けが決まるわけじゃありません。そもそも、人生に勝ち負けなんてありません。ただ、田舎に引っ込めばあなたの望むような日々が送れるかというと、はなはだ疑問です。
田舎に住んでいる人たちは、都会の人たちよりものんきでのんびり暮らしているのでしょうか。たしかに、そういう部分もあるでしょう。しかし、人間関係が濃密だったり、いろんな意味で自然の厳しさを味わう羽目になったりなど、田舎ならではのたいへんさもたくさんあるはずです。「田舎より都会の生活のほうが辛くてストレスが多い」と考えるのは、明らかに思い上がりであり、都会人の甘さの何よりの証だと言えるでしょう。
夏目漱石の没後百年ということで、最近また「朝日新聞」紙上で、彼のデビュー作である『吾輩は猫である』が連載されています。先生の家に飼われている猫の「吾輩」は、作品の中で多くの名言を残しました。あなたにオススメしたいのは、このセリフです。
「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」
「吾輩」は、もちろん田舎の人のことを言ったわけではありません。要は、相手や物事の表面だけを見ていてはいけないということ。のんきそうな人を見て「のんきでいいなあ」としか思えない、田舎の生活をテレビか何かで見て「のんきにのんびり暮らせそう」としか思えない、その程度の乏しい想像力しかないなら、田舎暮らしは「憧れ」に止めておいたほうがいいでしょう。勝手な理想像を描いて憧れるのも失礼と言えば失礼な話ですが、あなたがそれを心のやすらぎにしている分には、誰に迷惑がかかるわけでもありません。
そんなふうに非現実的で明らかに実行する気はない夢をふくらませたくなるのは、おそらくかなり疲れているからでしょう。妄想に逃げ込んでいないで、自分を疲れさせている原因を探ってみたほうが、はるかに有意義です。仕事がうまくいかないのか、職場の人間関係がよくないのか、あるいは、家族とうまくいっていないのか。思い当たる原因があったら、ひとつでもふたつでも打てる手を打ってみましょう。
「田舎暮らしをしたいよー」も「こんな会社辞めたいよー」も、現実から目をそらすための「意味がありそうに見える目標」にされがちです。「吾輩」は「人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である」とも言いました。自分の「心の底」を正確に知るのは難しいし、けっこう勇気がいることですが、そこを踏ん張るのが大人の気合いです。それこそ猫にでも尋ねてみましょう。身近に猫がいなければネットの動画でもかまいません。きっと、素直に我が身を振り返ることができはずです。
【今回の大人メソッド】
バラ色のイメージで見ているうちは本気じゃない
|
|
『吾輩は猫である』 夏目漱石不朽の名作
|
ハッシュタグ

