トランジットで降り立ったアゼルバイジャンの首都バクーでは、7代目イマームのムサ(Mūsá ibn Ja‘far al-Kāzim)の娘で8代目イマームのレザと兄弟であるウケイマ(Ukeyma Khanum)のアスタナを巡った。そこで出会ったイラクやアフガニスタンの巡礼者たちにそもそもイマームの家族の墓を巡礼することにどんな意義があるのかと聞いてみると、それは預言者の代理人であるイマームのことをより良く知るためである、と回答をいただいた。ムハンマドの正統な後継者であるイマームたちの考えや歴史的背景を知ることがシーア派信者にとっては重要なプロセスであるようだ。このような歴史知識、イスラムの教えや法学を専門的に学んだ知識人たちを尊敬を込めてモアリェム“Moallem”(アラビア語で先生)と呼ぶ。
このモアリェムたちが学ぶシーア派の最高教育機関が、ゴム市(Qom)。二つ目に訪れた街である。
ここには世界中の学生たちが集まりイスラム法などを学んでいく。筆者と同行したパキスタン人の知り合いも、ここで学んでいて、私達を出迎え案内してくれた。ゴム市で出会ったそのモアリェムの卵に、シーアがシーアたるその歴史を教授いただいた。
「息子であるアリーに継承権があるか」が二大派閥にとってもっとも大きな争点となるが、これはガディル・フムによって説明される。ガディル・フム(Ghadir Khumm)とは預言者ムハンマドがメッカからマディーナへと戻る際に民衆へ向けて、息子アリーが次期後継者を明言した出来事を指す。預言者ムハンマドの生前の言行を記したサヒフ・ムスリム(Sahih Muslim)の2404番や5915-5196番には、「私(ムハンマド)とアリーの立場は、まさにアロンとモーゼの立場と同じである。」「私の後に預言者はいないが、モーゼにアロンがいたように、私にはアリーがいる。」という言葉が残されている。
そしてコーランのモーゼとアロンの関係に関する記述の中でも第七章142番に「私に代わって人々を正しく統治していけ。」という言葉があり、これもまたアリーがムハンマドの正統な後継者であることを示している。