昭和の喫茶店カルチャーを作ったアマンド――創業70年目の逆襲

写真/Christian Kadluba

待ち合わせ場所だけじゃない、アマンドが牽引した喫茶店の歴史

 六本木の待ち合わせ場所でお馴染み、アマンドの創業は1946年、滝原健之が洋菓子喫茶「甘人(あまんど)」を新橋にオープンしたことに遡ります。当初、新橋駅前の闇市等で物資を調達しながら始めた店は、終戦直後で甘いものに飢えていた人々に大いにヒットしました。  1949年には有楽町店も開店「復興の中で明るい気持ちになってほしい」という想いから、あの有名な「アマンドピンク」を基調とした当時として斬新な店を作り、世間の評判を呼びます。また、おしぼりの提供や店頭のパラソル、店内に彫刻や絵画を設置するといった後の喫茶店で良く見かける光景もアマンドが発祥と言われています。

1960年代には銀座、赤坂、六本木とアマンドスタイルで席巻

 1960年代に入ると、アマンドはこうした「アマンドスタイル」で銀座や赤坂にも進出して成功します。余談ですが、創業者の滝原は銀座や赤坂で店舗を展開するだけでなく、水商売の経営者にアドバイスや資金援助を行っていたので、そういったお店のクリスマスや誕生祝いは全てアマンドのケーキだったそうです。  こうして、着実に成長を遂げたアマンドが1964年にオープンした店舗が、現在でもアマンドのフラッグシップといえる六本木交差点前の六本木店でした。そこでの、待ち合わせ時や飲んだ後にアマンドでケーキやコーヒーを楽しむというスタイルは、当時の最先端のトレンドとして人気を博します。

当時の若者の憧れになった、六本木アマンドという象徴

 その後、1960年後半から1970年代になって、1980年代の「ピンクハウス」で一世を風靡するデザイナーの金子功や元祖ハーフモデルともいえる立川ユリといった、当時の憧れであったであろう存在も出入りするようになると、特に女性の人気は更に高まり、東京の新名所として、アンノン族が押し寄せるようになりました。  ちなみに、アマンドのケーキといえば、1952年から発売されている、女性が口を汚さないようにフォークとナイフで食べられるシュークリームとして考案された「リングシュー」が有名ですが、その全盛期には工場から運び込むなり売れてしまい、1日に3000個近く売れていたということですので、当時の人気が垣間見れますね。
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