連続殺傷事件の手記『絶歌』批判で、怒りのポイントが人によって異なる理由
― 原田まりるの「エニアグラムで見るニュース」第3回 ―
太田出版より発売された神戸市連続児童殺傷事件の加害男性による手記『絶歌』が波紋を呼んでいる。
ネットにおいても批難の声が上がっているが、批難の矛先は一つではない。
「自己陶酔がすぎる」「実名で書けないなら出すな」「半社会的な行為をした人間が印税を得るのが許せない」という加害男性に対する批難の他に「発売前に遺族への確認をとらないのは卑劣」「金儲けできるなら何でもいいのか」という太田出版への批難、同書を平積みにする書店に対しての批難など、個人の「何を悪とするか」という主観の違いによって、批難の対象となるものも変わっているようだ。
私、原田まりるの場合は、個人的には、「社会生活を営む上で重要な、倫理的ルールを破ってまで利益を追い求めて出版した」という点で版元に対しての怒りが強いのだが、しかし、友人にそれを話したところ「元少年Aの自己陶酔が気持ち悪い」と別の見方での批難をしていた。
このような見解の相違は日常のあらゆる場面で起こっている。エニアグラムのタイプでそれを考えてみよう。
エニアグラムは人間の性格を9つの基本タイプに分ける考え方をする。
例えば、完璧主義者タイプと総称される「タイプ1」は、世の中にある不正や悪に怒りを覚え見過ごすことが出来ないため、『絶歌』の件などは、倫理観に欠けることに対し怒る傾向があると考えられる。
対して研究者タイプとされる「タイプ5」は、感情的になることが非常に少なく、データや専門的な知識を集めることに固執するため、出版に関しては嫌悪感を抱いていたとしても、凶悪犯罪者がどのような考えをもつのか? と興味を持つ可能性も考えられる。
このように、ひとつの物事に対し、怒りを抱いたとしても、その怒りの動機となることは他人と全く同じではなく、ズレているという現象はごく当たり前に起こっていることだ。
例えば、上司から、自分が担当している企画の出来が悪いと注意を受けた場合。偉そうな態度を取られたことに対して怒りを覚える人もいれば、見当違いの意見を押し付けられたと思い怒りを覚える人。また自分以外の企画に携わっている人たちを侮辱されたと怒りを覚える人など、怒るという感情ひとつにしても、きっかけとなる動機は変わってくる。
エニアグラムにおいても、タイプによって、その人の逆鱗に触れる動機が違ってくる。各タイプが特に嫌がることは以下になるので、自身のタイプ判定の目安としてほしい。
【エニアグラムで分類される各タイプごとの「怒りのポイント」】
<タイプ1>完璧主義者タイプ……時間に遅刻するいい加減な人、公共のルールを守らない人
<タイプ2>献身家タイプ……親切な行いを、当たり前のように受け取られ、感謝されないこと
<タイプ3>達成者タイプ……人前で無能で出来の悪い人間だと、低い評価を下される
<タイプ4>芸術家タイプ……個性を尊重されずに、集団行動を強要されること
<タイプ5>研究者タイプ……知識や頭の良さを疑われること、人付き合いを強要されること
<タイプ6>堅実家タイプ……自分だけに隠し事をされること、協力せず見放されること
<タイプ7>楽天家タイプ……暗い話や重い相談を長々聞かされること、じっとしていること
<タイプ8>権力者タイプ……テリトリーに土足で上がり込まれること、細かく指示されること
<タイプ9>平和主義者タイプ……ペースを乱され急かされること、急に意見を求められること
これを見ると、自分自身のタイプが特に嫌だと思うことと、他のタイプが嫌だと思うことは完全に一致するわけではないことがよくわかる。
しばしば、「自分がされて嫌なことを他人にもしない」と言われるが、必ずしもそうでない時もあるのかもしれない。
ただ、こうした価値観が異なる人が、一定のルールを守る中で社会は秩序が保たれている……と私は考えるのだ。それ故、社会において「倫理観」というルールを犯すような『絶歌』の出版を私がどうにも許せないと思ってしまうわけである。皆さんはいかがだろうか?
<文/原田まりる Twitter ID:@HaraDA_MariRU>
85年生まれ。京都市出身。作家・哲学書ナビゲーター。高校時代より哲学書からさまざまな学びを得てきた。著書は、『私の体を鞭打つ言葉』(サンマーク出版)。元レースクイーン。男装ユニット「風男塾」の元メンバー。哲学、漫画、性格類型論(エニアグラム)についての執筆・講演を行う。ホームページ(https://haradamariru.amebaownd.com/)
エニアグラムに見る「怒りの理由」の違い
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