多国間貿易体制を脅かす日米貿易協定 。WTO違反をしてでも米国の要望に応えるのか

グローバルなデジタル貿易ルール・メイキングを主導したい日米―他国との対立は必至

 今回、物品に対象を絞った「日米貿易協定」とともに、「日米デジタル貿易協定」も最終合意に至っている。これらは2本の別個の協定として審議されることになる。現時点では協定文が公表されていないものの、日本政府の概要や米国側の資料によれば、日米デジタル貿易協定は、TPPの電子商取引章をベースにしつつ、2018年に妥結したUSMCA(NAFTA再交渉の結果)に入れられたデジタル貿易章を踏襲したものとなる。   詳細は別稿に譲る*が、主なルールは「デジタル製品への関税賦課の禁止」「国境を越えるデータ(個人情報含む)の自由な移転」「コンピュータ関連設備を自国内に設置する要求の禁止」「政府によるソース・コードやアルゴリズムなどの移転(開示)要求の禁止」「SNS等の双方向コンピュータサービスの提供者の損害責任からの免除」などである。一言で言えば、GAFAなどの巨大プラットフォーマー企業にとってより有利な条項がTPPを強化する形で定められた。電子商取引をめぐる国際的な一元的ルールはまだなく、WTOで有志会合が進められている他、TPPなどのメガFTAや個別のFTAで先行的にルールづくりがされているところである。 <*内田聖子「分析レポート 日米デジタル貿易協定 ḘTPPを超える米国型ルールが導入ー」>  インターネット上の商取引や、Googleなどの検索サービス、SNSなどのソーシャルメディアの利用がさらに加速する中、人権侵害や詐欺、個人情報保護の問題など多くの課題も生じている。各国はそれぞれ国内規制を行っているが、表現の自由とビジネス優先の規定を好む米国と、人権保護や倫理性などの価値から企業を規制しようとするEU巨大権力を持つ国家が自国でデータを囲い込みつつ劇的な発展を遂げた中国、そしてグローバル経済に接合しながらも自国の産業育成や国家主権を担保しようとするインドなど新興国では、ルールのあり方は大きく異なる。  こうした中、日米デジタル貿易協定は、USMCAとともに現時点で世界で最も企業に有利なルールを持つ協定として登場した。日本は、IT立国を目指し、G20サミットでも安倍首相が「デジタル経済の促進」「ソサイエティ5.0」などを提起している(私にはこれら政策によって、日本が米国や中国のようなIT大国・知財大国と肩を並べられるとは思えないが)。TPP交渉でも、大企業に有利な電子商取引ルールを推進してきたのは日米であり、その意味で日米間に大きな対立や齟齬はない。  しかし前述のように、圧倒的な力を持つ大手プラットフォーマーやIT企業のビジネス活動と、人権や倫理、公共政策をどのようなバランスでルール化すればよいのか、どの国も模索している。こうした中で、米国型ルールである日米デジタル貿易協定を批准してしまえば、今後の政策スペースを限定することにもなってしまう。

IT企業のなすがままに個人情報などが濫用される可能性も

 カナダのオタワ大学法学部教授で、知的財産権や電子商取引などが専門のテレサ・スカッサ氏は、USMCAのデジタル貿易章はTPPよりも政府の規制権限が縮小していると分析し、次のように述べている*。 「USMCAは、これまでの経済の主要部分(農業・自動車、さらに映画や音楽産業など)だけでなく新しい経済に関連する問題も扱っている。これについてのカナダの課題は、我々がまだ方向性を設定していないということだ。デジタル経済がカナダ経済にどれほどの影響を与えるのか理解しないまま、決定を下している。経済面以外にも、デジタル化・自動化が進む中で、暮らしや雇用のあり方について人びとは懸念している。たとえば、Google関連企業のサイドウォーク(Sidewalk)社がトロントで進めるスマートシティ・プロジェクトへの大衆の大きな反発は、デジタル時代のプライバシー、自律性、規制に関する根深い不安を明らかにしている」 <*“What Role for Trade Deals in an Era of Digital Transformation?” by Teresa Scassa>  日米デジタル貿易協定には、USMCAと同じ「ソース・コード及びアルゴリズムの開示禁止」が盛り込まれた*。 <*TPPでは「ソース・コードの開示」のみが対象となっていたがUSMCA及び日米デジタル貿易では「アルゴリズム」も対象となり拡大された>  これは、特定の例外を除けば、政府当局は企業にソフトウェアやAI等のアルゴリズムの内容開示を要求できないというものだ。米国の大手プラットフォーマーやIT企業が強く求めてきた規定である。スカッサ教授は次のような懸念を指摘する。 「すでに私たちは、特定のアルゴリズムを知る必要に直面している。例えば自動運転車の事故が起こった場合、捜査当局は運転の意思決定を行った技術が事故にどう影響したかを理解する必要がある。被害者と企業による訴訟も起こるだろう。あるいは、自動化された意思決定プロセスにおいて、個人情報がどのように使用されているのか検証するよう、個人情報委員会等の規制当局が要求されることもあるだろう。ソース・コードとアルゴリズムの開示問題は、デジタルへの変革の初期段階において、カナダが国家として何を売り払うのかについて懸念を抱くには十分である」  日本でもカナダ同様、デジタル経済が進む中で、どのような規制が必要か、公共政策や人権・消費者保護とのバランスをどうとるのかについての議論は不十分であり、社会的コンセンサスも形成されていない。そのような中で、国の政策スペースを規定してしまう貿易協定(しかも大手プラットフォーマーやIT企業を世界で最も多く有する米国と)を発効することのリスクは大きい。 さらに、米国型ルールの世界標準化を警戒するEUや中国、インド、そして途上国・新興国は、日米デジタル貿易協定を最大限警戒し、対立を深めていくと思われる。これはWTOの電子商取引分野の議論にも影響していくだろう。
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自動車の制裁関税回避のためだけの交渉では済まされない
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