戦後レジームから学び直す「北方領土」問題

四島返還を「北方領土」問題としてきた理由

 1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約の締結時、日本政府は択捉・国後を千島列島の一部であると認めて放棄したにも関わらず、なぜ日本政府は択捉・国後を含む「北方領土」返還を求めるようになったのでしょうか。  そのヒントは、アメリカのダレス国務長官にあります。1956年9月7日付のアメリカ国務省名による「日ソ交渉に対する米国覚書」で、国務省の「意見」の「開陳」として、次の書簡が日本政府に示されています。 “領土問題に関しては、さきに日本政府に通報したとおり、米国はいわゆるヤルタ協定なるものは、単にその当事国の当時の首脳者が共通の目標を陳述した文書に過ぎないものと認め、その当事国によるなんらの最終的決定をなすものでなく、また領土移転のいかなる法律的効果を持つものではないと認めるものである。 サンフランシスコ平和条約(この条約はソ連邦が署名を拒否したから同国に対してはなんらの権利を付与するものではないが)は、日本によって放棄された領土の主権帰属を決定しておらず、この問題は、サンフランシスコ会議で米国代表が述べたとおり、同条約とは別個の国際的解決手段に付せられるべきものとして残されている。 いずれにしても日本は、同条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていないのである。 このような性質のいかなる行為がなされたとしても、それは、米国の見解によれば、サンフランシスコ条約の署名国を拘束しうるものではなく、また同条約署名国は、かかる行為に対してはおそらく同条約によって与えられた一切の権利を留保するものと推測される。 米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。 米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。”  これが示されたのは「日ソ共同宣言」署名の約1か月前で、このアメリカ国務省「意見」が、交渉妥結による日ソの緊張緩和を阻止し、日ソ間に緊張の火種を残すためという、冷戦の産物であることは明白です。主導したのは、当時のダレス国務長官と考えられます。その結果、共同宣言の批准にもかかわらず、ソ連が崩壊する日まで、日ソ間に平和条約が結ばれることはありませんでした。  また、日本国内で択捉・国後を含む「北方領土」問題が大きくクローズアップされるようになったのは、1975年頃(グロムイコ外相論文問題)からです。それまでは、周辺海域での漁業者の操業問題を中心に、両国間は交渉してきました。1980年に衆議院と参議院が「北方領土問題の解決促進に関する決議」を行い、翌81年に内閣が「北方領土の日」を決定しました。  82年には「北方領土問題等解決促進特別措置法」が制定され、択捉・国後・色丹・歯舞の4島が「北方地域」に指定されました。同法の第4条は、次のとおりです。 “(北方領土問題その他北方地域に関する諸問題についての国民世論の啓発) 第四条 国は、基本方針に基づき、北方領土問題その他北方地域に関する諸問題についての国民世論の啓発を図るため、北方領土返還運動の推進のための環境の整備その他の必要な施策を推進するものとする。 2 国は、国民が北方領土問題その他北方地域に関する諸問題についての理解と関心を深めることができるよう、学校教育及び社会教育における北方領土問題その他北方地域に関する諸問題に関する教育及び学習の振興並びに広報活動等を通じた知識の普及その他の必要な施策を講ずるものとする。”  本法に基づく「国民世論の啓発」の結果、私を含む多くの国民が、択捉・国後を含む4島を「北方領土」として「日本固有の領土」と認識し、ソ連(ロシア)からの返還を当然視するようになりました。ちなみに、世論啓発を専門に行う独立行政法人(北方領土問題対策協会)もあります。

北方領土ゆるキャラも。エトピリカの女の子「エリカちゃん」のTwitterアカウント

 70年代後半からの「北方領土」をめぐる日ソ間の緊張は、米ソ間の新冷戦と符合しています。75年のヘルシンキ宣言で最高潮となった東西の緊張緩和は、緊張関係に戻っていきました。79年のソ連によるアフガニスタン侵攻やアメリカ・レーガン政権のSDI構想など、80年代に入って緊張関係はさらに激化していきました。まさに「北方領土」問題の高まりも同時期だったのです。
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これからの日ロ交渉の選択肢
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