太宰治が思い出を綴り、宮崎駿が着想を得た目黒雅叙園は戦前の大テーマパークだった

「昭和の竜宮城」と称された前代未聞のサービス

 さて、現在の目黒雅叙園は、前述した「百段階段」を除き、1991年の目黒川の拡張に伴う全面改装後のものです。3000点にも及ぶ美術品含め、旧施設の多くも移築復元はされているものの「昭和の竜宮城」と称されたかつての目黒雅叙園そのものではありません。  戦前、1931年から1943年に至るまで、全7期にわたって、当時一流の芸術家、庭師、左官、建具師、塗師、蒔絵師など数百名が集結して豪華絢爛な施設を作り上げた上、本格的な北京料理を始めとするレストラン、孔雀や熊までいて子供も楽しめたという庭園、鯉が泳ぐ川があったというトイレなど、前代未聞のサービスを庶民価格で利用しやすい形態で提供し、当時の一大テーマパークとなった「昭和の竜宮城」とはどのような存在だったのか、見ていきましょう。

郊外に豪華絢爛な料亭を作った細川力蔵のビジネスセンス

 目黒雅叙園を創業した細川力蔵は石川県出身、小学校を終えると東京の銭湯に丁稚奉公し、その働き具合が認められて大正の初めに自分の銭湯を芝に持つと浴場経営に加えて、不動産業にも成功し一財産を築いた人物でした。その力蔵が1928年に芝浦の自邸を改築した純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経て、1931年に目黒の土地を入手して、本格的な北京料理および日本料理を提供する料亭「目黒雅叙園」をオープンしたのがその歴史の始まりです。  ところで、どうして目黒で開業したのでしょうか。もちろん、たまたま良い物件が入手できたからというのはあったにしろ、当時の目黒は今の目黒とは違い「目黒のさんま」に登場するような東京郊外でした。その郊外の目黒で料亭を開業した集客上の理由を二つ考えてみたいと思います。  一つ目の理由は、江戸(東京)っ子の娯楽としてのお参り信仰です。目黒雅叙園の近くには目黒不動を初めとする山手七福神や大鳥神社があり、ちょっとした物見遊山にはもってこいでした。そこに突然出現する現実から遊離した豪華絢爛にして物珍しい空間は、非日常の時間を過ごすにはちょうど良かったのではないでしょうか。一見、粋を重んじる江戸っ子が嫌いそうな、宮崎駿が「元禄文化風とされる通俗的などぎつさ」と評した雰囲気が人気を博したのもそんなところではないかと思われます。  二つ目の理由は、当時周辺に海軍の施設が沢山あったことです。もし、目論見通りに一般人(toC)が来なければ、軍人相手に宴会等を受け入れる(toB)というプランBがあったのではないかと思われます。その証拠に旧館の部屋名には「長門」「陸奥」「金剛」「妙高」「足柄」など、艦これよろしく、戦艦の名前が並んでいたようです。結果的には、toB、toC、両方とも当たり、大いに繁盛して、その後の増改築に繋がっていきます。  もちろん、これらの理由も今となっては類推に過ぎませんが、とはいえ当時の目黒に雅叙園を作ったビジネスセンスは、冬の軽井沢にスケート場を作ったり、夏の大磯にプールを作ったりした若き日の堤義明のエピソードなども思わせ、その経歴からも分かる通り、力蔵は相当やり手のアントレプレナーだったのだろうと感じさせます。
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若干33歳で目黒雅叙園を任された大工の棟梁、酒井久五郎
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